仏暦600年、上海にルム・セーンという人物がいた。彼は、花売りとして貧しい生活をおくっていた。ある日、インドラ神の天界から、天女たちがルム・セーンの花畑へ遊びに来た。そのとき、天女トゥップ・ソタチャンは、花を6本摘んでしまったことから、罰として6年間下界に住み、ルム・セーンの妻になるよう命じられた。
1年後、2人の間には男の子が生まれ、地面に絵を描くのが好きなことから、「プレアハ・ピスヌカー」[建築の神ヴィシュヴァカルマン(Visvakarman)に由来]と名づけられた。プレアハ・ピスヌカーが5歳になった時、6年の罰則期間が過ぎて、トゥップ・ソタチャンは天界へ帰っていった。ル
ム・セーンとプレアハ・ピスヌカーは、悲しみにくれた。 そのころ、カンボジアでは王が逝去し、王座は空位になっていた。そこで、インドラ神は自らニワトリに変身し、その肉を食べたものを新王として即位させることに決めた。ゾウ遣いのティアと妻ヴォーンがそのニワトリの肉を食べたところ、王の選定のために王宮から放たれたゾウは、彼ら2人のもとへ来た。さらに、王妃となったヴォーンの枕元にインドラ神が現われ、ヴォーンの身体に花環を落としていった。王妃は懐妊し、月満ちて男の子を産んだ。王子は、「プレアハ・ケート・ミアリア」[「輝く花環」の意]と命名された。
一方、プレアハ・ピスヌカーは母を失った悲しみが癒されず、母探しの旅へと出掛けた。野を越え、山を越え、たどり着いた丘の上で、プレアハ・ピスヌカーは天女たちを目にした。彼が姿を見せても、1人だけ逃げない天女がいた。彼女こそ母トゥップ・ソタチャンで、ここに母と子は再会を果たした。トゥップ・ソタチャンに連れられて天界へ赴くと、プレアハ・ピスヌカーはインドラ神の計らいで、天界の絵画や彫刻の技術を学ばせてもらった。
インドラ神は成長したプレアハ・ケート・ミアリアの姿を見ようと思い、彼のもとに降臨した。自らが父であることを明かしたインドラ神は、彼を天界へと連れて行き、天の宮殿を見せた。「お前をカンボジア王にして、天界の宮殿と同じものを地上に建ててやろう」とインドラ神は約束し、プレアハ・ピスヌカーを呼び出して、地上に宮殿を建てるよう命じた。
仏暦620年、プレアハ・ピスヌカーは彫刻がふんだんに施された宮殿を建てた。その宮殿が、現在まで伝わるアンコール・ワットである。
宮殿にたいそう満足したプレアハ・ケート・ミアリアは、プレアハ・ピスヌカーに鉄180キロを与えて、剣を作らせた。プレアハ・ピスヌカーは鉄を鍛えて、鋭利で小さな剣を作った。だが、ププレアハ・ケート・ミアリアは、完成した剣が小さいのを目にして、プレアハ・ピスヌカーが残りの鉄を着服したのではないかと疑った。疑われて腹を立てたプレアハ・ピスヌカーは、剣をトンレ・サップ湖に投げ捨て、故郷の中国へと帰っていった。
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出典:「アンコールの近代」