ロダンにも影響を与えた宮廷舞踊
1906年3月10日、シソワット王や舞踊団80名からなる一行がサイゴンを出発した。6月11日、一行はマルセイユに到着し、植民地博覧会の場で催された公演は連夜3万人を越える観客を集めた。彫刻家オーギュスト・ロダンは、このパリでの公演を観覧した後、帰路マルセイユへと向かう舞踊団を追って、踊り子を描いたデッサンを残している。そして、踊り子の腕・足・指・腰など、身体の動きについて盛んに言及している。
オーギュスト・ロダンにとって、カンボジアの舞踊そのものが目にする価値のあるものだった。
図1 1906年 渡仏した舞踊団
図2 1906年 オーギュスト・ロダンによるカンボジア舞踊のデッサン1
図3 1906年 オーギュスト・ロダンによるカンボジア舞踊のデッサン2
抜粋文献
「アンコールの近代 植民地カンボジアにおける文化と政治」
中央公論新社 2006
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