2012年2月26日日曜日

書評「アンコール遺跡」

「アンコール遺跡」
藤岡通夫 鈴木博高 著
三省堂
昭和18年6月30日発行



はじめに
本書は、当時、東京工業大学助教授であった建築史家の藤岡通夫(1908年~1988年)によって記されたもので、戦時下にアンコール遺跡を日本へ総合的に紹介したものとして評価される。また、本書の特徴は、藤岡による当時の意匠研究の紹介および、その当時の遺跡写真にある。まず、本書が書かれた背景を述べる。

時代背景
1940年8月の日本は仏印と軍事協定締結、9月より「北部仏印進駐」を開始、翌年7月には「南部仏印進駐」を行なった。日本は、軍隊だけでなく政治家・経済人・大学研究者や芸術家などの文化人を次々とフランス領インドシナ(以下、仏印)に送り込み、両者の「文化協力」政策を推進した。特に、外務省の外郭団体の(財)国際文化振興会を通じた活動は活発であった。

出版の背景
本書が出版される前、藤岡は1943年に『アンコール・ワット』も出版している。また1941年から1945年にかけて、日本ではアンコール遺跡に関する著作が次々に公刊されている。この時代、仏印への関心は、時世に沿った大変意味のあることであった。藤岡も自序の中で、「東亜共栄圏内に介在する芸術の宝庫を、少しでも多く紹介する事に役立つならば、幸それに過ぐるものはない。」と述べており、仏印は介入は軍事史だけでなく考古学史上でも重要であった。
しかし、これらアンコール遺跡に関するフランス語文献の邦訳は、仏印文化を理解するためにフランス人に頼らなければならかった。当時、アンコールに関する書籍は、英語・フランス語のものは数多く出版されていたが、日本において、この時代以前のアンコール遺跡に関する研究としては、建築学会で1910年に行われた学術講演会「祇園精舎図とアンコール・ワット」や、「東洋建築の研究」など伊東忠太によるものが大きな成果であり、その他には、1928年に岩生成一が、1933年に黒板勝美が、それぞれ、アンコール・ワットの墨書について論文を発表しているにすぎなかった。
その藤岡の踏査は、外務省南洋局、海軍省施設本部、日本学術振興会の援助により行われた熱帯地住居の調査の途次に行われたものであり、1942年2月に脱稿し、1943年6月に出版された。

本書の内容
1、
まず人種、歴史、宗教からクメール文化を概論している。その中で、藤岡が感じた当時の印象から「今日のカンボジア人は(中略)温順ではあるが全く無気力であって、往古あの大事業をなした民族の意気と精魂は、その片鱗さへも見ることが出来ない。」と述べている。その印象は、アンリ・ムオの時代から変わっていないようだ。歴史に関しては、その当時、漢文史料研究や、碑文研究が進み、王の登位や遷都など正確な年代が紹介されている。
2、
アンコール遺跡の総説では、遺跡の現状、構成要素、意匠など、建築学的なな紹介がなされている。この当時、フランス極東学院(以下、学院)による遺跡目録の作成、観光道路の整備がなされ、その全貌を窺うことできていたため、容易に各遺跡を訪れることができたのであった。この項の中で、藤特に意匠について論考しているが、この当時の研究を知る上で重要である。
特に藤岡は、プノン・バケンとバイヨンの建設年代の研究を紹介して、論様式論による年代判別の危険性を言及していると共に、ステルン及びレミュザの研究を高く評価している。また、藤岡は、日本の社寺建築の研究手法を当てはめて、アンコール寺院構成を各個別建築ごとに分解し、塔門、塔、祠堂、拝殿などからクメール様式の独自性を論述している。
また、構造においても、迫出し式アーチとバットレスとしての側廊の意味を評価している。藤岡は「廻廊に於ける独特の屋根形式は、全く構造上の要求から生じたものである。」とアンコール・ワットの中央部の事例をあげている。
意匠において、藤岡は、周辺諸国やインドなどと比較考察行い、チャンパとの相互性を認め、アユタヤの塔はクメールの影響下から発達したと述べている。では、そのクメール建築意匠はどうかというと、インドのヒンズー教の要素が伝えられ、クメール式に発達したと考えられるのが至当と考察している。
3、
次に、各論で個別の寺院について解説しており、その後には写真帳となっている。恐らく、そこで紹介されたものが、藤岡が実際に訪れた遺跡ではなかろうか。それは、アンコール・ワット、アンコール・トム、タ・ケオ、タ・プローム、バンテアイ・クディ、スラ・スラン、プリア・カーン、ネアック・ポアン、プレ・ループ、プノン・バケン、プノン・クロムである。
4、
そして、本書の最大の特徴であるアンコール遺跡の数々写真が、最後に納められている。各寺院ごとに、全体から細部に至るまで建築学の視点から均等に撮影されている。驚くべきこととして、それら写真が、そこにあった彫像や彫刻の本来の姿を教えてくれることである。遺跡自体は、現在の姿がそう変わっていないが、盗掘、保存の為の移動、戦時中の破壊によって、近代においても多くのものが失われてしまったことを伝えている。これら凛とした彫像たちは、一体どこへ行ってしまったのだろうか。藤岡の写真は、研究資料として重要であるが、一般の人々にとっても、遺跡への意識を高める上でも重要であろう。


最後に、本書の図面・写真は、アンコール建築・彫刻の研究者にとって、重宝するものであり、一読すべきものであると思う。


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