2012年3月11日日曜日

書評「アンコール・ワット 大伽藍と文明の謎」

アンコール・ワット―大伽藍と文明の謎 (講談社現代新書) [新書]
石沢 良昭 (著) 




内容
インドシナ半島の中央に次々と巨大な寺院を完成させたアンコール王朝。建造に費した年月は。回廊に描かれた物語とは。なぜ密林に埋もれたのか。遺跡研究の第一人者がカンボジア史を辿りながら東南アジア最大の謎に迫る。

著者紹介
1937年、北海道生まれ。1959年、上智大学外国語学部卒業。現在、上智大学外国語学部長。専攻は古クメール語碑刻文学。主な著書に『古代カンボジア史研究』―国書刊行会、『甦る文化遺産――アンコール・ワット』―日本テレビ出版部―などがある。


新書: 215ページ
出版社: 講談社 (1996/03)
ISBN-10: 4061492950
ISBN-13: 978-4061492950
発売日: 1996/03
商品の寸法: 17.4 x 10.4 x 1.2 cm




書評
本書は、著者の碑刻文研究の成果を基に、前アンコール時代から、フランス植民地時代のアンコール研究に至るまでの社会を、人々の動的な描写によって、わかりやすく解説しているものである。

しかし、本書の最大の特色は、当時の人々の様子をいきいきと写し出していることである。
例えば、寺院の浮き彫りには王宮や都城周辺の生活が描かれており、そこで民族衣装をつけた人々が働いている姿を解説している。また、寺院の建設では、浮き彫りおよび遺跡に残された痕から、石切場や石積み様子などを描写している。
また、チャンパとの戦争について、史実に肉付けする形で、寺院の戦闘場面の浮き彫りを臨場感溢れる描写しており、解りやすい構成となっている。
そして、アンコール・ワットの浮き彫りでは、その宗教・技術の頂点の根拠のみならず、それを描いた人々の生活光景を読み解くことを教えてくれている。そのひとつとして、ジャンク船や家族の描写がある。
それらは、著者の長年の研究の考察結果をわかりやすく示しているものである。
最後に、王の崇敬については、シハヌーク前国王の行幸を採り上げ、伝統的な王への姿勢から、読者にアンコール時代の王を想像させ、とても受け入れやすい内容になっている。

本書を遺跡を訪れる前に読むことにより、その場で当時の風景を想像する面白みを感じることできると思う。


内容のまとめ
本書は、タイトルにある「大伽藍と文明の謎」を解明しようとするものである。換言すれば、アンコール文明を構成していた政治・社会・経済を考察し、社会基盤整備及び寺院建立を可能にした「高度な技術」及び「宗教的背景」を通史の形で明らかにしたものである。そして著者は、専門である碑刻文などの文献と、アンコール地方の地勢から、その根拠を示している。

政治・社会・宗教からの寺院建立
アンコール時代の王は、王位継承戦により実力で登位していた。その正当性を誇示するため、初代王が転輪聖王の儀式を行なったアンコールに都城を築いた。つまり、アンコール地域は王権の永続性を保証する聖地であった。
また、当時の政治は、インドからもたらされた概念を基底にして、宗教的な要素が強かった。王は、王国の発展と平安を保証するという精神から、「神の世界」と同じ中心寺院を地上に築いた。そのことにより、アンコール地域に多く寺院が建立さていったのである。そして、王自身は「現人神」として王国の卓越した保護者として神聖化された。
それらを継承することが、王位の正当性を主張することでもあった。そのための祭儀を執り行ったのが王師職である。この宗務官は、インドから渡来した人々バラモンと称したもので、世襲色・寡頭色が強い職柄であった。また、王は、前任王の親族と形式的に婚姻することにより王位継承の正当性を主張したのであった。
以上のように、アンコール王朝は政祭一致的な色彩の強い政治体制であった。

農業経済を支えた社会基盤整備と寺院建立
王は、各寺院にて五穀豊穣の祭儀も行なっていた。アンコール地方は、常に水がなければ耕作ができない地勢であった。また、雨水は短期間に過剰に降り、それをどのように排水し、乾季に備えてどのように貯水するかが課題であった。その実現のため大貯水池バライを建造し、集約的農業を可能にした。
つまり、王による都城と寺院の造営はその地域の守護神的役割を果たすという精神面と同時に、地域開発の側面を併せ持ち、農業生産の増加を生み出した。
また、その緻密に計算された水利灌漑網を維持管理していたのは、「村の地主」であり、彼らが水門の調節や河川の浚渫を行なっていた。彼らによって支えていた豊かな農業経済を背景に、アンコール時代の王朝の発展と、壮大な寺院の建立が可能となっていた。
しかし、その経済的繁栄を支ていた水利網の維持は長期的には困難であった。高低差のないアンコール地域では、流速がゆっくりのため沈殿堆積作用により、機能しなくなった。また、新しい水路・貯水池の開削は、飽和状態の耕作地利用のため、不可能であった。そして、水路網が機能しなくなると、土壌の酸性化が進み、田地は荒蕪化してしまった。そのことが、アンコール王朝の衰退の要因のひとつとなった。


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